山形市長候補さとう孝弘の4年間…

前回市長選で落選直後から再挑戦を表明し、妻を連れて山形市に移り住んださとう孝弘君。
選挙期間中ずっと言われ続けた「よそ者」という心ない言葉…

孝弘君自身は戦っている本人だから耐えられる、耐えてみせなければならなかった。
そんな厳しい、悔しい思いをしている夫をずっとそばで支えてくれた妻、博子さん。

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博子さんも孝弘君同様、山形には同級生もいなければ親戚もいない。
自身もきっと寂しかっただろう。
いや、孝弘君以上に辛かっただろう。
さとう孝弘の妻というだけで、いわれのない罵声をあびせられたり、陰口を言われたり…

それでも、二人の周りには選挙で手伝ってくれた多くの支援者がいた。
移り住んだ宮町の町内の人たちが親戚のようにやさしくしてくれた。
新しく生まれた長男のママ友もできた。

孝弘君の心が折れずに4年間過ごせてきたのは、こうした人達の優しさに応えなければならない、という孝弘君の強い信念だったと聴いた。

では、博子さんの心を支えたのは何だったんだろう?
新しく生活を始めた土地で生まれてきた長男の存在、そして夫を愛する心…

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名前を覚えていなくとも、見たことがある人には笑顔で挨拶しただろう。
夫と一緒に何度も何度も頭を下げてきただろう。

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孝弘君と結婚するときに「私も政治家の妻になるんだ」という覚悟があったのだろう。
だからずっと孝弘君を支え続けられたのだろう。

こんな健気で愛おしい二人をどうして非難できよう。
生まれ育った地元にいてさえも政治家の浪人というのは辛いものだと聞くのに、ずっと手を取り合って4年間、先の見えない不安と戦ってきた二人。

やさしくて強い二人だからこそ、市民目線で子どもやお年寄りに優しい街にしてくれると信じている。
だから僕はこの二人をどうしても勝たせてあげたいのだ。
孝弘夫婦